調布市立深大寺小学校

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学校の歴史

 本校の創立は、明治6年、深大寺の一つの建物であった「多聞院」、現在のプールのある南側の一段低い土地にあった建物で開校した。
 開校以来146年目に当たる。
 深大寺は、本名「浮岳山・深沙大王寺」、浮岳山は当時、多摩川から北の方を見ると、葦原の河原の向こうに城山が浮いたように見えたので「浮岳山」の名が付いた。また、「深沙大王寺」の深・大・寺ととって深大寺、水の神様である。
 ここの湧き水は武蔵野台地のへりにあって、海抜50m線上にあり、国分寺崖線の続きで、国分寺、井の頭公園、善福寺公園、石神井公園等が海抜50m線上にある。
 農民にとって大切な水を祀る意味で寺を建てたと考えられ、西暦733年(天平5年)満空上人によって創建したと伝えられる。柏野の長者の娘と朝鮮半島からの帰化人の恋、その息子が僧になって深大寺を建てたという言い伝えもある。
 深大寺に安置されている金銅釈迦如来倚像(白鳳仏)は、2017(平成29年)年に国宝に指定された。7世紀後半(白鳳時代)の制作と考えられ、1909年(明治42年)、大師堂の壇下から発見された。関東には珍しい古代の仏像のため、作風が近似する法隆寺の夢違観音(ゆめたがいかんのん)(国宝)や、新薬師寺の香薬師(こうやくし)(重要文化財)と同じ工房で鋳造された可能性が指摘されている。同じ国宝の鎌倉大仏より制作年が古い、関東最古の国宝仏像である。
 境内には、20数軒の「そば屋」があり、「深大寺そば」と呼ばれている。江戸時代地味の悪いこの地にそば栽培が奨励されたのが始まりで、上野寛永寺の門主第五世公弁法親王にたいそう気に入られ、3代将軍家光も鷹狩りの際に食し、その味を褒めたそうである。近隣には広大な都立神代植物公園があり、マンサクウメ、サクラ、バラの花々とともに訪れる人々の舌と目を楽しませている。近年は海外からの観光客も多い。